ある鍛造会社の創業から90年の変遷

川上鉄工所は1932年に創業した鍛造の会社です。創業以来の90年歴史を振り返ると、事業環境の変化や顧客要望の変化に対応するために、自分たちの仕事のやり方を進化させてきた90年であったと感じます。

戦後の復興期において、鍛造技術の需要が高まった、その流れに乗って事業を展開し、顧客要望に応えるために技術を進化させてきました。バブル崩壊やリーマンショックでは痛手を受けましたが、その状況を打破するための取り組みが次につながっていきました。

川上鉄工所の創業からこれまでの90年を
1.創業期
2.自動車部品製造の開始
3.バブル崩壊に伴う販路開拓と生産工程の少人化、
4.リーマンショックを契機とする多品種少量生産の展開
の4つに分け、主要な出来事について、まとめてみました。

 

1. 創業期(1932年~1945年)

川上鉄工所の創業は1932年です。時代背景でいうと、1931年の満州事変の翌年です。創業者の川上義雄は岡山県高梁市の出身で、三人兄弟の次男として生まれ、大阪で創業しました。

住友金属工業の仕事を主軸に技術向上を図り、その後、新工場を建設し、鉄道車輌部品・航空機部品の鍛造品の製造を開始します。個人経営を脱し、株式会社を設立したのは、第二次世界大戦の終戦の1945年のことでした。

当時の工場内は天井が低く、重油炉を使用していたため、作業員は、熱焼けした赤い顔に黒い油煙が付着し、暑く汚れた最悪の作業環境の中で、水を飲み、塩を舐めて作業に当たっていました。(ちなみに、エアーハンマを用いて最初に製造した製品は、菜種の搾油機に使用されるシャフトだったと聞いています。)

エアーハンマを使用したフリー鍛造による長尺鍛造品の鍛伸(たんしん)

 

・ 大阪市港区に金属加工・機械組立ての個人経営として川上鉄工所を創業。
・ 住友金属工業の仕事を主体に技術向上を図る。
・ 西淀川区に新工場を建設し、鉄道車輌部品・航空機部品の鍛造品の製造を開始。
・ 戦時中も戦火をくぐり抜け、個人経営から株式会社化。

2. 自動車部品製造の開始(1952年~1971年)

終戦後の川上鉄工所の大きな転機は、東洋工業(現マツダ株式会社)向けに自動車重要保安部品の生産を開始したことです。

(1) マツダとの取引開始

マツダとの取引のきっかけは、近畿鍛工品事業協同組合に所属する同業からのご縁によるものでした。当時の主力製品は、初代ファミリアのセンターリンクやボンゴのケーシングハブです。その後は、駆動系部品にあたるカウンターシャフトギヤーやナックルなどの部品を製造することになります。

当時、主力商品をオート三輪から軽自動車や小型トラックに移行させつつあった東洋工業が、キャロルとファミリアという2つの小型車の開発を開始していた時期でした。そして、マツダ関連の受注が川上鉄工所の売上の90%にまで及んでいました。ところが、主力製品であるセンターリンク折損という品質問題が発生します。この折損の原因は「焼きすぎ」(オーバーヒート)でした。

(2)オーバーヒート品の流出防止対策として、磁気探傷検査を導入

オーバーヒートが発生すると、金属材料の結晶粒が粗大化し、結晶粒と結晶粒の間(結晶粒界(けっしょうりゅうかい)が酸化し、破壊され、材料本来の強度が著しく低下してしまうことになります。

川上鉄工所では、このオーバーヒート品の流出防止対策として、磁気探傷検査を導入しました。そして、この磁気探傷検査の実施が次の重要保安部品の受注にもつながりました。

・東洋工業(現マツダ株式会社)向けに自動車重要保安部品の生産を開始。
・当時はマツダ関連の受注が売上の90%にも及んでいた。
・鍛造品の主体は初代ファミリアのセンターリンクやボンゴのケーシングハブ。
・センターリンク折損の品質問題である焼きすぎ(オーバーヒート)が発生する。
・その対策として、オーバーヒート品の流出防止対策として磁気探傷検査を実施
・磁気探傷検査の実施が重要保安部品の受注につながった。

3. バブル崩壊に伴う販路開拓と生産工程の少人化(1972年~1999年)

川上鉄工所の次の大きな転機は岡山への移転でした。工場の移転には2年もの時間がかかったと聞いています。移転のきっかけは阪神高速道路建設(国土路線新設計画)に工場が該当した為でしたが、公害防止対策や職場環境の改善などを目的に、1972年、創業者の出身地である岡山県総社市に新工場を建設し、移転します。(総社市の他に、兵庫県姫路市や岡山県邑久町(現瀬戸内市)なども視察でまわったとか。当時、総社市が企業誘致していた・・ということもありますが、その土地その土地で、鍛造時に発生する騒音や振動の地域に与える影響も調べて決めたと聞いています。)

こうして新工場は天井が高く、大阪時代と比べて風通しの良い快適な職場を実現することができました。

 

(1)バブル崩壊と定期的なコスト削減要請

しかし、バブル経済の崩壊により、国内市場の成長が停滞します。国内市場の継続的成長を前提とした拡大戦略は一転し、苦境に立たされたマツダの売上は大きく減少し、深刻な経営危機に直面しました。当時、売上の70%以上をマツダに依存していた川上鉄工所も大きな打撃を受け、苦境に立たされました。

この厳しい状況の中で、マツダからは定期的なコスト削減要請(CR要請:Cost Reductio)が続きました。自動車部品の特徴の一つに物量の多さがあります。そのため、自動車部品では、納入先となる顧客から定期的なコスト削減であるCRを前提とした値引き要請が出されます。

川上鉄工所では、マツダからのコスト削減要請に応じる一方で、新たな販路を開拓するために中部地区への営業活動を展開しました。これにより、トヨタグループの愛知製鋼株式会社との受注契約を結ぶことに成功しました。

(2)販路開拓と生産工程の少人化・誘導加熱装置(インダクションヒーター)の導入

愛知製鋼株式会社からマツダでも受注していたトランスミッション部品の大口受注(月産1万本、製品重量8kg)を獲得し、新たな主要取引先となりました。

そして、1988年にはエアーハンマのロボット化ラインの稼働を開始、生産工程の少人化を進めました。また、エアードロップハンマの無人化運転も開始し、さらに材料の「焼きすぎ」(オーバーヒート)対策として誘導加熱装置(インダクションヒーター)を導入することで、温度管理の精度を向上させ、品質の安定化を図りました。これにより、製品の品質向上と生産効率の改善が実現されました。

さらに、今で言うISO9001やISO14001の認証を取得し、品質管理および環境管理を強化しました。1999年には、二代目社長である川上義一氏が黄綬褒章を受章し、三代目社長として川上陽亮氏が就任しました。

 ・阪神高速道路の建設予定地に合致した等の理由から、岡山県に新工場を建設。
 ・岡山に移転時期にマツダ(株)との直取引がはじまる。三輪トラック部品。
 ・主取引先のマツダ(株)が不調となり受注量が半減。川上鉄工所も苦境に立たされた。
 ・マツダ(株)からのCR要請が続く中、中部地区への新規営業活動を行い結実し始める。
 ・その結果、新たな販路としてトヨタグループ(愛知製鋼)との受注契約を結ぶ。
 ・愛知製鋼の大口受注品はマツダ(株)でも受注していたトランスミッション部品
 ・大口受注を受けて、1988年にはエアーハンマのロボット化ラインを導入し少人化に成功。
 ・その他にもエアードロップハンマの無人化運転も開始。
 ・ISO9001やISO14001の認証を取得し、品質管理や環境管理を強化。
 ・二代目社長の川上義一氏が黄綬褒章を受章し、三代目社長の川上陽亮氏が就任。

4. リーマンショックを契機とする多品種少量生産の展開(2000年~現在)

後に四代目の代表取締役となる、川上朋弘(筆者)が川上鉄工所に入社したのはリーマンショックの約2年前の2007年になります。2008年には新たに金型製作工場を新設し、生産量変動への対応力強化とコスト削減を図りますが、その矢先にリーマンショックが発生します。

(1)農業機械、建設機械、工作機械、産業機械、工具などの積極受注

急激な円高に伴い、国内のカーメーカーが相次いで海外進出を進めたため、国内の生産量は大幅に減少しました。このような状況において、川上鉄工所は、農業機械、建設機械、工作機械、産業機械、工具などの受注を積極的に推進しました。

(2)サポイン事業への採択

さらに、2011年には、平成23年「戦略的基盤技術高度化支援事業」(サポイン事業)に採択され、「スマート鍛造プロセス」の開発を開始しました。スマート鍛造プロセスの詳細→こちらからご覧いただけます

この「スマート鍛造プロセス」とは、鉄を鍛造した後に再加熱することなく、加工に適した軟らかさを維持する技術であり、省エネルギー化と納期の短縮を実現するものです。また、この技術は、シャフトのように部品形状に大径部と小径部が混在し、温度ムラが発生しやすい部品の加工熱処理に特化したものです。

さらに、ステンレスやチタンの鍛造品にも注力し、現在では自動車部品の比率を50%程度となっています。

・ 新たに金型製作工場を新設した。
・ リーマンショックによる受注減に対応し、生産量の多様化とコスト削減を図る。
・ 急激な円高による国内カーメーカーの相次ぐ海外進出に生産量が激減。
・ 農業機械、建設機械、工作機械、産業機械、工具などの受注を推進する。
・ 2011年に戦略的基盤技術高度化支援事業に採択され、「スマート鍛造プロセス」の開発を開始する。
・ ステンレスの鍛造品やチタン鍛造品にも注力し、現在は自動車部品の比率を50%程度となっている。

川上鉄工所のこれまでの変遷をふり返ると、日本の経済状況の変遷と無縁でなかったことを改めて感じます。バブル崩壊やリーマンショックでは経営危機も経験しましたが、そのたびに新たなチャレンジをして会社を存続させてきました。

顧客要望への対応や、経営危機を打破するための取り組みが次の会社の基盤につながってきたのだと思います。これからも、変化する時代に柔軟に対応しながらも、「安全」、「安定供給」、「品質」、「誠実さ」といった基本的な価値観を大切に、経営を続けていきたいと考えています。

鉄、ステンレス、チタンでのフリー鍛造、型鍛造をお考えの方は、以下のフォームからお問合せをお願いいたします。「安全」、「安定供給」、「品質」を大切に、誠実に対応させていただきます。

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